仏事あれこれ

お参りの作法

お数珠の掛け方

お数珠は念珠ともいい、お念仏の数を数えるための仏具です。いろいろな種類がありますが、浄土宗では、通常二連のお数珠を使います。
お数珠の掛け方は、左の図のように合掌した手の親指と人差し指の間に掛けて、親指の後ろの方に垂らします。合掌していないときには、左の手首に掛けるようにします。

合掌の仕方

合掌とは、古来インドで行われてきた、相手への敬いの気持ちをあらわすための表現方法で、仏教ではこれをうけ、仏さまやご先祖さまを礼拝するときに用いています。
合掌にはさまざまなかたちがありますが、浄土宗では、右の図のように両手の指をぴったりと胸の前で合わせ、45度の角度で斜めに保つ「堅実心合掌(けんじつしんがっしょう)」のかたちをとるのが一般的です。

御霊膳の並べ方

お命日や年回のご法事、お盆、お彼岸などには、お膳を揃えて、亡き御霊をご供養します。このお膳は御霊膳(または霊供膳)といい、精進料理で用意します。地域にもよりますが、よく用いられる並べ方は次の通りです。
 [1] 親椀(ご飯)
 [2] 汁椀(お吸い物・お味噌汁)
 [3] 高杯(漬物)
 [4] 平椀(煮物)
 [5] 壺椀(和え物)
きれいに盛り付けたら、箸を仏さま側に向けてお供えします。

お仏壇の祀り方

お仏壇の意味

お仏壇は、信仰の対象となる仏像をお祀りし、礼拝・修行をするためのものです。浄土宗ではご本尊の阿弥陀仏を中心に、ご先祖の位牌もお祀りします。 つまり、お仏壇は、阿弥陀さまとご先祖、そして現世に生きる私たちとの再会がかなう極楽浄土を模した、大切な信仰の「場」ということになります。 慌しく、さまざまな悩みを抱えている日常であるからこそ、毎日少しの時間でも、お仏壇の前でお念仏をとなえ、祈りを捧げることが大切です。また、常に清潔と整頓に心がけましょう。

ご本尊・両脇侍・両大師

お仏壇最上段中央にご本尊阿弥陀仏を、その右側に脇侍である観音菩薩、左に勢至菩薩、さらに観音さまの右に高祖善導大師、勢至さまの左に宗祖法然上人をお祀りします。 お仏壇の大きさによって、阿弥陀さまを両脇侍、もしくは阿弥陀さまと両大師の組合せでもいいでしょう。いずれも、お像のもの、掛け軸に描かれたものもありますが、適宜お選びください。

お位牌

争議の際の白木のお位牌は、四十九日までの仮のものですから、その後は黒塗りまたは繰り出し位牌を作ります。向かって右側が上座(古いご先祖さま)となるようお祀りします。

三具足ほか

ご供養に欠かせない香炉、燭台(ロウソク立て)、花瓶の三具足(みつぐそく)もご用意ください。
中央に香炉、向かって右に燭台、左に花瓶を。燭台と花瓶を各一対にすると五具足となります。ほかに供え物を載せる高杯や鈴、仏飯器、茶湯器、線香立てなども必要になります。

安置する場所と向き

家族団らんの場である居間、あるいは静かな座敷などがよいでしょう。向きは、極楽が西方にあることからすればご本尊が東向きとなるようにするのが理想ですが、 間取りなどの都合でそれが叶わない場合には、いずれの向きに安置しても「お仏壇の方角が極楽の方角」の思いでお参りしてください。

新規の購入・移動・買い替え

お仏壇、お位牌、仏像などを購入した際には菩提寺に開眼式(かいげんしき=お魂入れ)をお願いします。開眼式を勤めることによってはじめて、信仰の対象となるのです。また不要になった場合には撥遣式(はっけんしき=お魂抜き)をしていただいてから処分を依頼しましょう。

お施餓鬼法要

法光寺のお施餓鬼法要は毎年7月12日に開催されます。お盆の代表的な法要として修します。お施餓鬼は餓鬼道に落ちた一切の迷える魂に飲食を施し、供養する法要です。その願いは欲深い自分の心持を反省し、先立ちし人々に感謝の誠を捧げ安らかな往生を願う意味もあります。
本堂正面に施餓鬼檀を設け、各家先祖代々霊位、新盆の霊位、その他あらゆる諸霊位のご供養を諏訪地域の10人の僧により特別のお経や作法によって儀式が進められます。本堂内陣においてお焼香を行い、清められた五色の旗(施餓鬼旗)をいただいて法要が終わります。

お盆の歳時記

お盆が近づくと、商店やスーパーにも盆花やカトギ、盆茣蓙(ござ)や迎え火送り火に使用する樺(カンバ)の皮などの盆用品が店頭を賑わします。また新しい仏さまを迎える家では精霊棚を飾り付け盆提灯や盆灯篭を用意します。
どこの家でも昔は仏壇からお位牌を出して精霊棚を作り、キュウリの馬やナスの牛、季節の野菜やそうめんを供え、家族がそろう中でお盆を迎えました。
法光寺では8月初旬からお盆にかけて各家へお伺いしてお盆のお経をあげさせていただいています。

1月16日と8月16日は斎日(おせいにち)

毎年正月16日になると、この辺ではお墓参りが行われます。お墓参りに行き交う人たちで寺町は賑わいをみせています。しかし最近の様子を見ると小学校には学校の休みもなく子供たちの姿や声も少なくなりました。 また会社も平常勤務ということでこの16日をゆっくり家族連れでお墓参りしてご先祖様と過すということがなくなりつつあります。併せてさまざまな正月行事も簡素化されてきました。何か大切なものが失われていくようで残念です。

  昔から正月16日と旧盆の7月16日(8月16日)は斎日(さいにち)この辺では「おせいにち」といわれ、この日は、地獄の釜の休、閻魔様の縁日でこの2日間は地獄にいる人の仕事休みの日で、亡者は責めの苦しみから解放される日でもあります。 昔は奉公人も薮入りに当ることから仕事を休み故郷や実家に帰り、人々はお墓参りや閻魔堂や十王堂にお参りをしました。お寺では地獄・極楽の図を開帳し、和尚さんや古老の方が絵解きをしました。子供たちは真剣に耳をかたむけました。 地獄絵図や十王図に描かれている閻魔様は威厳があり、うそをつくと閻魔様に舌を抜かれるといわれ、悪いことをしたら厳罰を課せられる様子が子供たちに恐れられました。閻魔様や地獄の絵は今でもわたしたちの脳裏に鮮烈に焼きついています。 「悪いことをしたら罰があたる」といった何かの戒めというものが自然に身についてきたものです。