「寺のまち」地区まちづくり「美しい信州の景観づくり功労賞」受賞

住民による景観整備を支援する諏訪市の「辻と小径のまちづくり事業」の指定を受けて整備した「寺のまち地区まちづくり事業」長野県の「美しい信州の景観づくり功労賞」を 平成21年2月5日に腰原長野県副知事から「寺のまち」まちづくり委員会委員長(法光寺住職小口秀孝)が代表で受賞しました。
 「寺のまち」は同市南沢町と榊町の貞松院と法光寺の間と、法光寺と正願寺の間の二路線、ともにやく80メートルの区間、寺院が集まる地域の特性を生かし、 寺の風情にふさわしい和風を基調にした景観づくりを進めるためにブロック塀を木製の塀に替えたり住宅の外壁を改修、消防屯所の壁等の改修、児童遊園地のフェンスや交通標識の改修などを実施しました。
 小口秀孝委員長(法光寺住職)は「景観への関心が高まるなか、住民が一歩を踏み出し、それが認められたことがうれしい」と話しました。 

「長野日報記事より抜粋H21.1/23付」

新聞掲載情報
その他、各新聞にも法光寺の取り組みが掲載されました。

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「寺のまち」界隈のまちづくり 〜面前小路・鎌倉小径地区〜

「寺のまち」まちづくりで実施したこと

 地域の文化遺産と区域の景観整備に賛同する者をもって委員会を組織し、総意によるまちづくり計画書を策定し、景観整備協定を締結しました。
  計画書に沿って、寺のまちを意識した塀の改修、河川の整備、公園や交通標識等のハードの部分を整備しました。(補助事業)
  景観整備を進めながら、地域内の環境、歴史、自然等に関する学習会やイベント等を実施し、住民参加を得ながらソフトのまちづくりを実施(単独事業)するとともに、まちづくりの新しい情報を発信しています。

「寺のまち」まちづくりのポイント

1. 諏訪市「辻と小径のまちづくり事業」に手を挙げ、寺まちの独特の景観を整備し次代に継承するために、寺のまちを形成する3つのお寺が中心になり、 2つの自治会・消防団・関係住民の協働により「寺のまち地区まちづくり計画書」を策定し、整備計画や建築の協定等を締結しました。委員長は法光寺住職がその任につきました。

2. 景観整備を進める中で、建築物の階数・屋根の勾配・門・塀などの素材、色調など、そのほか屋外広告物・恒久的設置物の規定、緑化・清掃美化等について一定の基準を設け、将来にわったって地域の景観を保全します。

3. 景観整備事業として、ブロック塀の木塀への改修、朽ちかけている木塀の改修、区域を流れる河川の整備、公園フェンスや消防の屯所の外壁補修交通標識整備や火の見の塗装、民家の壁の改修等、景観にマッチするよう整備を進めました。

4. 整備事業が進むに連れ、住民の関心は高まり、道沿いの花の手入れや清掃、歴史の学習会やイベントなどを通して新しいまちづくりの芽生えがあります。

5. 
・地域の歴史学習会の開催(毎月第水曜日 40~50名参加)実施中
・桜のライトアップと庭園公開(4月中旬)
・夜桜と雅楽の演奏会(4月中旬)250名参加
・まちづくり、花だより・寺のまちめぐり情報紙の発行
・諏訪サプリの会-日本酒と郷土料理を楽しむ会
・東部地区公民館-寺町小路コンサート
・まちづくり市民協議会-街道を歩く「曽良を訪ねて」
・全国路地サミット2008イン長野で事例発表
・民家まちづくり会議開催


諏訪てくてく探訪

2008年10月11日に開催された、「諏訪てくてく探訪」のパンフレットです。(JMRA 民家まちづくり調査委員会作成)

■まちづくりに参加した寺院

諏訪市岡村1-16-5   法光寺  住職 小口秀孝
諏訪市諏訪2-16-21 貞松院  住職 山田和雄
諏訪市岡村1-15-3   正願寺  住職 宮沢説雄

■まちづくりに参加した自治会等

南沢町・榊町・消防団

「寺のまち」への景観整備の実際

 平成18年度から取り組んでいる景観設備「辻と小怪のまちづくり事業」の第一号が完成しました。
南沢町と榊町との二地区にわたる、お寺が集まる「寺のまち地区」。住民のみなさんとの協働により整備されました。

ブロック塀を木塀に改修することによって、景観が一新した。門前小路としての風格がでてきた。防災上の観点からも安全性の確保ができた。

メイン通りを、新しい木塀の設置に伴い、思いきって老朽化した木塀も前面改修しました。その結果、メイン通りの思いきったイメージチェンジが図られ、行きかう人々の評判も良いです。

隣接する民家の協力を得て、路側に面した既存のブロック塀に板塀を貼り付ける形で改修しました。これにより景観や雰囲気が大きく変わりました。

今までは、ブロック塀に囲まれていたため、暗い感じの小路であった。しかし、全体を低くして見通しの良い木塀に改修。閉鎖的な小路から開放感のある明るい小路になりました。

小路の正面に屯所があったために、色彩や格子など化粧直しをし、また隣にある火の見やぐらも地上に近い部分を塗装して、目立たないように配慮しました。

継ぎはぎだらけの公園のフェンスがすっきり整備され、フェンスの前には花壇が設置されましたまた小河川の石積みが整備され、以前とは見違えるように変身。今年初めて、公園で夏祭りが開催されました。

寺のまちの通りに続く民家の皆さんの協力を得て、普段あまり気にしない塀や外壁を改修。景観に配慮して和風に変身しました。

ゴミステーションも違和感のない和風的なイメージに変身。

塀のところどころが虫食い状態がかなり痛んできていました。
検討の結果全部改修しました。

美しい信州の景観づくり功労賞受賞(県知事表彰)

周辺寺院のご紹介

「寺のまち まちづくり」には、法光寺・貞松院・正願寺の3つの寺院が参加しました。
他の2つの寺院を紹介します。

正願寺

【桑原山 不断院】
浄土宗 正願寺
開山 僧 岌住(永禄五年=一五六二)
本尊 阿弥陀如来 坐像 運慶作
薬師堂 本尊 薬師如来 慈覚大師 御作
脇持 日光・月光菩薩

地図はコチラから

【寺宝】
○地蔵尊 立像・十二神将像・三十三体観世音菩薩
○銅燈籠 (市有形文化財) 三代藩主 忠晴寄進

【句碑】
○「ゑりわりて 古きわがやの 月見かな」 曾良
○「春にわれ 乞食やめても 筑紫か奈」 曾良
○「春風や 次郎の夢は まだつづく」 新田 次郎

【墓地】
●河合 曾良 故郷の墓 (一六四九~一七一〇)

【事蹟】
上町高野家に生まれる。二十歳ころ親戚を頼って、伊勢長島に行き長島藩に仕えるがもなく浪人して江戸に出た。天和三年(一六八三)ころ松雄芭蕉に入門「鹿島紀行」・「奥の細道」の旅に随行した。宝永七年(一七一〇)壱岐勝本で死去。

●河西 周徳の墓(俳人)
夫人は曾良の姉、曾良没後、壱岐より送られてきた遺品の整理、遺稿「ゆきまるげ」と碑を建てる。 宝暦三年 没。

●小平 道三(藩主)
父信永は佐久望月城主であったが、武田信玄に滅ぼされ、道三は諏訪頼重に仕え重臣であった。

●新田 次郎の墓(作家) 昭和五十五年に没。
角間新田の出身、本名 藤原寛雄。夫人は藤原てい「流れる星は生きている」の作家。伯父は初代気象台長の藤原咲平。気象庁から作家に変換「伝強力・聖職の碑・武田信玄・・・」

貞松院

【迎冬山】
浄土宗 貞松院 月仙寺
開基 諏訪 頼水(高島藩 初代)
中興 諏訪 忠恒(高島藩 二代)
開創当時は慈雲院と言われていた。頼水没後、二代藩主忠恒が、母貞松院殿(岡崎城主 本多豊後守康重の息女)の慈徳を称え建てた。本尊 阿弥陀如来

地図はコチラから

【寺宝】
○一節切 銘 乃可勢(信長-秀吉-家康と天下人に珍重されたと、伝えられる。)
○俳画賛軸「戸をたてて僧は入りけり秋の暮」 忠輝(晩年)
◎阿弥陀三尊来迎図(県宝)(市有形文化財)・
○不動明王立像 ○毘沙門天立像 ○阿弥陀如来図 ○貞松院殿遺品 ○松平忠輝遺品 ○城向き地蔵
早くなくなった三代藩主 忠晴の子を供養した地蔵。両親を想うあまりに、いくら直しても翌朝には一人で城を向いてしまう。
○徳本上人 大名号軸「南無阿弥陀仏」

【墓地】
●松平 忠輝(市指定史跡 )(一五九二~一六八三)
徳川家康の六男
大阪夏の陣後、高田五十万石の城主忠輝は故あって家康から勘当 に処せられ、伊勢(三年)、飛騨高山(七年)、の配流後、寛永三年(一六二)三十五歳で諏訪高島藩に移され、南の丸に数奇な運命を辿り、九十二歳の天寿を尽くし、生前貞松院の歴代上人と親交があった。「寂林院殿心譽輝窓月仙大居士」

●貞松院殿 墓地(?~一六四五)
徳川家康の計らいで天正十一年初代藩主諏訪頼水のもとへ嫁し、本能寺の変以降の激変の中で諏訪家を支え、その基盤固めと安泰に寄与した。